女性失格
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女性として綺麗になる事が目的ならば、もう少し体重を増やすことに積極的になれたと思う。でも私は健康な人より不健康そうな人を美しいと思っている。その病的な所に、女性的なものとは違う美しさみたいなものをずっと感じてきた。
残念ながら私の脚が棒のようになる事はなかったけど、今でもまだ、小さな子供の、まだ男でも女でもない細い手足を羨ましく思っている。
大学病院の待合室には拒食症患者がゴロゴロ控えていたけれど、私は
「この人達と自分は種類の違う人間だ」
と感じていた。
全員がそういうわけではないと思うけれど、華美な服装、露出した脚、ゆるくウェーブのかかった髪型は、少なくとも彼女たちが女性である事を受容しているかのように思わせた。
一般的な拒食症患者がダイエットに走るのは、
『女性として綺麗になりたい』
という気持ちが前提にあるような気がしてならない。
私は、自分がそんな『その他大勢の拒食症患者』と一緒くたにされているように感じていた。当時は既存の型に無理やり嵌められているような気がして、「私の気持ちは誰にも理解してもらえないんだ」と絶望していた。
考えてみれば、男でも女でもない純粋な「子ども」として扱われる期間って殆ど無いような気がする。
社会的な意味では私は女でも男でもない固有の人間だったはずなのに、そうであったことは殆ど無いし、多分誰もが『男らしく』とか『女らしく』とか言われて育ったと思う。
それにも関わらず、子どもの頃から女の型に嵌められる事に強い違和感とストレスを感じていた私に対し、周囲は自分の性をすんなり受け入れているようにしか見えなかった。
それがどうしても理解できない。
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