「いいね」という承認
地道な投稿の甲斐あって最近はブログの1日のアクセス数100越えも珍しくなくなってきた。先日WWEの記事を投稿した時はアクセス数0という自己最低記録を更新し、どうしたものかと思ったけど。
ところで私はいま、複数のSNSを利用しているのだけど、正直使いこなせているとは言い難い。初めてTwitterに絵を載せた時は全然「いいね」をもらえなくて、いく日も経たない内に投稿を削除した。ちなみにそれ以降も絵をアップロードしたり消したりの独り相撲を繰り返している。『いいね』されてない事が、ネット上でもぼっちである現実を突きつけられているようで気になるのだ。
評価される事に意義を感じていて、やる事なす事全て承認欲求を孕んでる他人軸な生き方をしてる人間なんだけど、時々
— まめこ (@mamemameko_12) March 21, 2019
「自分って何だろう」
という虚無感が押し寄せてくる。#シャープペン画#イラスト pic.twitter.com/g3JI6KDDNG
その一方で、100件も200件もいいねをもらっている落書きのようなイラストがTwitterには数多く存在する。これがどうも気に入らない。私の絵には魅力がないという事なのだろうか。
よくよく見てみると、『いいね』をもらってる人達は
#絵師と繋がりたい
というハッシュタグでフォロワーをガンガン増やし、社交辞令形式でお互いにいいねを押しているようなのだ。なんかもう、この時点で面倒くさくなってきた。
そもそも「絵師」って何??『絵師』って画家とか、絵を本業にしている人の事じゃないの?趣味で描いている人に絵師を名乗られることに戸惑いを感じるのは私だけ?
錯乱状態で耳を切り落とした絵師
しかしそんな私の思いとは裏腹にこの言葉は世の中に広く浸透し、今では『絵師』という言葉に安っぽさすら感じるようになってしまった・・・。
話をもどすと、仕事を辞めて暇を持て余していた私は、仕方なくフォロワーを増やしてみるとこにした。(でも元々人と繋がることに興味がないので、頑張ってもフォロワー25人にしかならなかったけど…。)そして絵描きアカウントのツイートにリプライやいいねを押してみた結果、私の絵に初めて『いいね』がついたのだった。
1いいね。
絵を見てもらいたいという欲求があるので、相互フォローとかでフォロワーを増やしてどんどん展開するべきなんだろうけど、私自身相手に興味無いので、本音を言うとフォローも「いいね」もしたく無い…。でも社会ってそういうものなんだろうな。
「いいね」は欲しいが、社交辞令はしたくない。でも「いいね」を押すと「いいね」返しをされる。つまり私の絵は所詮社交辞令で「いいね」されるようなクオリティなのだ。
書いてて虚しくなってきた。
絵は挨拶じゃないんだから、社交辞令的に評価されるべきものではないと思うんだな。そしたら「いいね」なんて、もらえないかもしれないけど、やっぱり挨拶代わりの「いいね」なんて私は求めてないのだ。
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