ばかですいません。

ぼっちの思考

不登校の子ども

f:id:soybeans01:20190202103934j:plain

小学校入学後、少し前までと環境がガラッと変わった事に戸惑いを感じていました。

 

私は「何故だかわからないが小学校という集団に放り込まれた」と疑問符で頭がいっぱいだったのですが、周囲がすんなり小学生の型に嵌まっている様子に「あれ?」と思っていました。どうもみんなは小学生である事を普通に受け入れているようでした。

かたや私は何故授業に拘束されるのか、何故学校へ行かなければならないのかも分からず

「数日前までの環境と明らかに違うのに、みんな当然のように小学生になっている」事に憮然としていました。

 

母曰く、当時の私は「アレが嫌だ」「コレが嫌だ」と理由をつけて登校を拒否していたそうです。確かにその時はただ勉強が嫌とか、いじめがあったとか、明確な理由あったわけではなかったと思います。

 

・保育園と全然違う

・こんな風に閉じ込められるなんて誰も教えてくれなかった。

・これからずーっとこうなのか

 

感覚的にはこんな感じでした。この頃にはすでに『漠然とした不安』を抱えていたので、『成長していく』という事が、『不安の根源に向かって突き進む』事に繋がっているように感じていたのかもしれません。

 

登校拒否はしばらく続いたように記憶していますが、ある日突然ランドセルのフォルムが気に入り、それからは何事もなかったかのように通い始めました。でも学校が好きになったわけではありません。ランドセルを背負うという事に興味が出ただけです。

 

「小学生になる」という事を受け入れる期間が必要だったのかもしれないし、ただ『ランドセルが気になる』という気まぐれから登校し始めただけかもしれません。それから転校するまでの間の事はよく覚えていませんが、給食を食べる事が苦痛だったことは覚えています。

 

その後、中学に上がれば「あれ??」と思い、高校に上がれば「おや???」と思い、段階を踏む毎に違和感は増していきました。「ここで登校拒否すると人生詰む」と思い我慢していましたが、環境が変わるたび発熱時のような不調が続きました。

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

相手と対等になる手段

f:id:soybeans01:20190127110632j:plain

絵は私にとって、同級生と(表面的には)仲良くやっていくための手段でした。

今の土地にに引っ越してきた時、

【頭悪い】【オドオド】【どんくさい】…というのび太的要素を兼ねそろえていた私は、よく虐めのターゲットにされていました。何もしてないのに暴言を吐かれたりしました。どうやら私はクラスの中でヒエラルキーの最下層に位置していたらしく、比較的大人しい女子からも悪口を言われました。彼女達にとって、私は適度なガス抜きに丁度よかったのかもしれません。

 

あまり書きたくはないですが、

「ハゲ~(笑)」とからかわれることもあれば、

クラス総員で私を“汚物”であるかのように扱ってくることもありました。

(ちなみに私ハゲではないし、汚くもありませんでした)

「げっ。触っちゃった~」

「汚~い。タッチ!」「タッチ!」

(私に触れたことで鬼ごっこのようなシステムが発動)

 

多分本人たちは純粋に楽しんでいて、【いじめ】という認識は持っていなかったのだろうな思います。

【友達のグループ】に自分をなんとかねじ込んでも、何が楽しいのか全然分からず、すぐ疲れてしまいました。そのうち一人で絵を描くようになりました。その時までは、絵を描く事は純粋に楽しんでいたように記憶しています。

 

空けても暮れても一人で絵を描いていた為多少は画力がつき、そのうち私をからかってた子達が手のひらを返したように

「〇〇の絵を描いて描いて」

と頼んでくるようになりました。

その時に、私は絵を使う事でようやく相手と対等になれた気がしました。

いじめをしていた側の人間が私に頼み事をしてくるというのは、非常に滑稽でした。私はこんなクラスメイトの事を内心で軽蔑しつつも、“頼まれる”その状況を心地よくも感じていました。マンガのキャラクターの絵を描くだけで、クラスの中心にいられるような気分になったからです。

 

絵を描かないとコミュニケーション取れないなんて、自分でも「寂しい人間だな」と思います。

これは私の、強い承認欲求の一端を担っていたのかもしれません。

今思うと、相手とって私は「ただ絵を描いてくれる道具」でしかなかったのかもしれません。実際は私が相手に利用されていただけだったりして…。

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

いつも不満な人

f:id:soybeans01:20181218053434j:plain

よく「親の敷いたレールを歩んできた」とか「良い子として生きて来た」という話を聞きますが、私の場合はちょっと違うなーと思っています。私は「褒められたい」とは思っていても、「親にとって良い子」であろうとしたことは多分ありません。「これだけは譲れない」という、どうでもいいような細い事を頑固一徹で来た記憶があります。今でも何故か分かりませんが、「このコップは使えない。このコップは使える」とか、自分でも法則のよく分からないルールに縛られることがあります。

 

これが所謂発達障害の強い拘りなのか、私の我儘なのかはわかりませんが、何となく後者な気もしています。

(この「気がする」という表現も、「そうじゃない可能性もある」という含みを持たせた曖昧な言い方で、さりげなく逃げ道を作っているのかもしれません。)

 

私は子供の頃、クラスの女子から虐めを受けていました。

社会的に評価を得ることと並んで、“私を馬鹿にしてきた奴らを見返してやりたい”という、クラスメイトに対する憎悪が常に傍らにありました。

でも彼女達は多分、『自分が誰かを傷付けていた』という自覚すら無いのだと思います(私も誰かを傷付けていた可能性はありますが)。今ではみんな母になり、現在は人間として模範的な生活(結婚・出産・育児)を送っています(facebook情報)私が仕事で成功しようがしまいが、自分の軸で生きている彼女達の生活には微塵も影響しないであろう事は、頭ではわかっています。私の存在自体忘れ去られている可能性もあります。

「見返してやりたい」と思っていたのに、逆に自分がボロボロになっていました。

 

私の関心は、社会からどう評価されるかという点に集中しています。出来もしないのに背伸びをし、むやみやたらに虚勢を張り、事あるごとに『デザイナー』をアピールするのも劣等感の反動形成かもしれません。私は『他人からどう見られるか』という他人軸で生きています。だからいつも満たされず、「いつまで経っても不満な人」なのかもしれません。

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

「認められたい」という病

f:id:soybeans01:20190107143135j:plain

誰かが評価されると、私はその人に対して強い敵意を抱きます。

 

「あの人は恵まれている。」

「あの人は贔屓されている。」

 

それに引き換え私は頭も悪いし見た目も悪い。加えて成績も悪い。どうしたらダメな自分から脱却できるだろうか。どうしたら人から評価されるだろうか。常に褒められたい、認められたい、構ってほしい。それにはどうしたらいいのか。

 

私は『デザイナーである』という事にアイデンティティを置いていましたが、よくよく考えてみたらこの仕事を選んだのも“自分の手が届く範囲”で『凄いと言われたい』という欲求から来ていたように感じます。この“手が届く範囲で”というのも、我ながらセコいと思っています。多分、私は他人が言うほど努力していません。

 

他人の肯定的な言葉を素直に受け入れられないのは、『実は困難から積極的に逃げて来て、本当はそこまで努力していない(…のかもしれない)』という後ろめたさがあるからかもしれません。

 

絵を描くことは苦痛です。家事をする事も苦痛です。休んでいても苦痛です。何をしていても苦痛です。私は常に誰かと競争しています。それは“何かをしたい”という欲求からではなく「すごいね」という羨望を求めているからです。

 

本を読むのは苦痛です。1日数ページしか読み進められません。それでも読むのは、“教養のある人”を纏いたいからです。「頭が良いと思われたい」という承認欲求があるからです。

ただ1冊読了する毎に『利口になった』と悦に入ります。自分で自分に苦行を課して自己完結しているので別に問題はないかもしれません。私は辛いですが。(小説は殆ど読みません。結局フィクションなので、知識を蓄えるという点で苦労に見合った収穫が期待できない為です。)

 

私の行動は常に承認欲求を孕んでおり、本当は自分が何をしたいのかという事が全く分かりません。

好きなことをしたらいいとか、ゆっくりしたらいいと人は言いますが、何をどうすれば自分が楽になるか、わからないから辛いんです。ただ生きる為にご飯を食べて、食べる為にお金を稼いで…この作業が途方もなく辛いんです。

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

「老後がこわい。」

ASDはIT系に向いているなんて言われていますが、順序立てて話すことが苦手な私は簡単な報連相にも苦労していました。そこではチームでの仕事が基本だったので、コミュニケーション能力が重視されていたのです。

 

発達障害者の中には「自分は他人とは違うと思っていた」と表現する人がいるけれど、私の場合「自分の頭がおかしいと思っていた」の方がしっくりきます。漠然とした不安は物心ついた時から抱えていて、夜中一人枕を濡らすこともよくありました。でもその不安感をうまく言語化できなかった事と、「おかしな子供」だと思われたくないという気持ちもあって、それを誰とも共有する事が出来ないまま大人になりました。当時は『普通の子ども』のようにふるまう事に必死になっていました。

 いつかはどうにかなっているだろうと楽観視する一方で、「治らず誰とも繋がれず、将来独りぼっちだろうか」という不安は常に頭の片隅にありました。そしてそれは年を重ねるにつれて強くなっていきました。

 「大人になるころには」

「〇年後には」

「〇歳になるまでは」

 

そんな私の淡い期待もむなしく、どうやらこれ以上待っても良くなりそうもないと気づいたのは社会人になってからの事です。そんな中、あるニュースが私にさらなる追い打ちをかけました。

f:id:soybeans01:20190102151625j:plain

2013年のことでした。

東京五輪開催決定に世の中が湧き上がる中、2020年という近い未来に、私は自分の将来の具体的なイメージを重ね死にたくなりました。

「将来がこわい…」

この頃既に摂食障害に片足突っ込んでいた気がします。

 

「将来の事なんて考えても無意味だ。今を生きるべきだ」

自己啓発本にはそう書いてありますが、私も考えたくて考えているわけじゃないんですよね。でもどうしたって時間は経つわけで、気付いたら年が明けて2019年になっていました。東京オリンピックは目前となりました。

 

振り返ってみれば、昨年は「辛い辛い」と思いながら、本当にあっという間で何の進展もない1年でした。

何も出来ない惨めな自分は受け入れ難く、一歩を踏み出すハードルは物凄く高い。私は現状を嘆いているだけで変わりませんでした。変わったといえば、体重が増えたことくらいです。何で増えたんだろう。

f:id:soybeans01:20190102151615j:plain

食ってるからだよ。

今でも筋トレは欠かさないし、好きな時に好きなものを食べる事は出来ません。でも好きなように食べたいと思う一方で、このまま治らなくてもいいと思っている自分もいます。それは単純に太りたくないという事と、痩せている事が既に自分の一部にもなってしまっているという事があります。

 

私は数年前にASDと診断されましたが、それを素直に受け入れられない自分がいます。それは障害受容というよりも

「実は誤診で、社会に適応できないのも自分の頑張りが足りないだけでは?」

という診断に対する懐疑です。だからと言って「発達障害じゃありませんでした」なーんて今更撤回されても困ってしまうので、これについて考える事は意味が無いとは思います。発達障害を「出来ない事」への免罪符として見ている面もあるからです。

 

そういえば今年もおせちを作りました。別に料理は好きではないけど。寧ろ苦手だけれども、少しでも何かをする事で自分の「居場所のなさ」を拭い去りたいのだと思います。

もっと緩い生き方ができるようになりたい。他人の目に私は「いつまでもクヨクヨしている」と映っている事でしょうね。…私の人生は甘いかなぁ。

 

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

わたしは給食が食べられない。

私は自分の机でぼっち飯を通していたので、どんなメニューがあるのかすら知りませんでしたが、勤めていたIT企業には社食がありました。
 

あるお昼時の事。社食の脇の通路を通ったら、ぷーんといやなにおいが鼻を突き、思わず昔の事を思い出しました

勉強よりも嫌いだったもの

小学生の頃の話です。

私が1日の中で一番嫌いだったのは給食の時間でした。当時は残してはいけないという決まりがあって、主食は基本ご飯だったのですが、パンと麺がそれぞれ週1度は出てきたんですね。それも1人分の量が結構多かったんです。

f:id:soybeans01:20181230102547j:plain

恐怖の時間。

特に麺の日、それが『けんちんうどん』とか汁気のあるものだったりすると、水分を吸って麺が伸びるのか、食べても食べても減らなくて、とにかく苦しかったのを覚えています。

給食後はお昼休憩を挟んで掃除をする事になっていたので、私は常に時計と睨めっこしながら食べていました。ノロノロしていると掃除の時間に突入してしまうからです。

それでも時間内に食事を終える事が出来ず、埃が舞う中食べる事もたびたびありました。

 

椎茸との闘い

異様だったのが椎茸の出現率の高さでした。

見た目のグロテスクさもさることながら味も臭いも強烈で、みじん切りにされていても私の舌はそれを敏感にキャッチしました。

f:id:soybeans01:20181230102640j:plain

椎茸はどこまでいっても椎茸だった。

あのゴムのような触感の、噛むほどに溢れ出す椎茸のエキスに、えずきながら食べた記憶があります。時には牛乳で無理やり流し込むこともありました。これは牛乳の強烈な風味で相殺しようという算段だったのですが、そりゃもう悪夢のようでした。そもそもご飯と牛乳の組み合わせがおかしい。

ちなみに相殺はされました。

 

皆と食べる事が辛い

たまに時間内に食べ終えても、クラスの女子から

「今日は好きな食べ物だったから早食いしたんでしょ」

と好き勝手に言われる始末。

 

唯一の楽しみであったデザートはクラスのE子ちゃんに横取りされました。ジャイアンのようだった彼女も今は4人の母親です。人間どうなるのかは本当に予測がつきません。

 

私は給食の間、クラスメイトと殆ど口をききませんでした。そんな余裕もなく一心不乱に食べていたし、そもそも喋りながら食べるという器用な事が出来ませんでした。

 

通っていた小学校では屋外で食べる「青空給食」という行事や、月に1度だけ自分で好きなメニューを選べる「セレクト給食」なるものもありました。でも量の多さは変わらないわけで、『時間内に食べ終える事が出来ない』ことが常でした。

 

こんな調子だったので、年に1度の「給食のおばさんに感謝する会」では、申し訳ないが全然感謝出来ませんでした。給食のおばさんは別に悪くないんですけど。

 

給食の影響

そんな日々には小学校卒業と同時に終止符を打ちました。

中学校では先生に

「気持ち悪いので残していいですか」

とお伺いを立てて残すようになりました。もちろん嘘です。気持ち悪くはなかったです。でも先生は私の体調を心配していました。

 

振り返っても、当時は拷問のような日々でした。

給食の臭いが漂ってきただけで、むせ返りそうになります。

あの頃の影響なのか、今でも食事の時は時間や周囲の食べるペースを気にしてしまいます。食べ終わるのが早すぎても、遅すぎてもいけないんです。

 

従業員の和やかなランチタイムを脇目に、そんな昔の事を思い出していました。社食は給食と同じ臭いがしました。

私は社食を一度も利用することがないまま会社を辞めました。

 

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

学校の成績の話

f:id:soybeans01:20181224124404j:plain

勉強するという概念

私の成績は壊滅的でした。
先生の説明についていけなかったという事もありますが、そもそも意味を理解して勉強をするという概念がなく、テスト勉強は問題集の出題範囲を丸暗記するという力業に出ていました。
(テスト問題は、先生によっては問題集からそのまま引用されている事もあったので、そういう時はある程度点数が取れました。)

どれほど悪い点数を叩き出しても自分の勉強方法に一切の疑問を持たず、何故か「これでいい」と思っていました。
高校3年か専門入学辺りでようやく、
「勉強ってこういうものなのか」
と理解しました。その時は本当に目から鱗が落ちるような感覚でした。

 

言葉をそのまま受け取る

「私、全然勉強してないよ~」
と言う人がいますが、私はその言葉をそのまま受け取り、


「そうか!私もやってない!ヽ(・∀・)ノ」


とひとりで安心するタイプの人間でした。
「自虐に見せかけた自慢」とか、「皮肉」が分からなかったんだと思います。

 

勉強についていけない…

国語や社会の授業でやらされる音読は、読む事に精一杯で内容は全く頭に入って来なかったし、理科のグループで行う実験も指示通りに動いていた(又は傍観)だけなので、当然実験結果も何を意味するか全く分かってませんでした。
分かろうとも思っていませんでした。
これは怠ける以前に、純粋に『理解する』という方に意識が向かなかったという事です。

ちなみに受験勉強は過去問をひたすら解いて採点するだけ。解説は読まない。…という全く無意味な事をしていました。
通知表は壊滅的でしたが、対象を観察する力と描く力はあったので、美術の風景画やデッサン、模写では苦労しませんでした。“真似をする”という事は、頭を使わないので負担が少なかったのかもしれません。一方で、工作系は非常に苦戦していた記憶があります。発想力に乏しく、自由度が高い作業(本人の裁量に委ねられる作業)を求められるほど、どこからどう手を付けていいかわかりませんでした。

今では勉強も皮肉も一応理解している(多分)ので、私は発達が極端にゆっくりだったのかなと思います。

 

+++++++++++++++++++++++++++++

ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自閉症スペクトラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
にほんブログ村

SSL標準装備の無料メールフォーム作成・管理ツール | フォームメーラー