プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

楽しみを与えてくれたもの

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昔は好きだったのに、今は微塵も興味を持てないというものがある。私は実は社会人になってからコンシューマゲームへの熱が薄れてしまって、面白くないと思いながらゲーム会社でゲームを作ってた。

昔は休みの日に必ず起動していたものだけど、今ではPlayStationは“子ども時代の名残り”としてもう何年も部屋の片隅で埃を被っている。注ぎ込んだお金の事を考えると笑えない…。私のゲーム歴はポポロクロイス物語に始まり、アサシンクリードに終わった。凄い趣向の遷移だな、と自分でも思う。

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印象に残っているゲームの1つに【ギルティギア】という格闘ゲームがあって、最近何気なくそのサウンドトラックを聴いたのだけれど、「そういえばあの頃の自分はゲーム好きだったなぁ」なんて思い出してちょっと切なくなった。

格闘ゲーム自体は苦手で基本的にプレイしなかったのだけれど、ギルティギアだけは例外だった。汗臭い格ゲーが世の中に乱立する中でこのゲームはキャラクターが飛び抜けて魅力的だった。デザイナーはギルティギアの生みの親と呼ばれる石渡大輔。迷いのない線で描かれた躍動感あるイラストに私は心酔してたっけ。その勢いのあるタッチが猛烈に格好良くて、昔はよく真似をしたものだ。全然描けなかったけど。

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彼らのようなクリエイターになりたい、ユーザーを魅了するようなモノづくりをしたい…と思ったのがCGデザイナーの道に進んだ理由の1つ。きっかけは厳密に言うとファイナルファンタジーだったんけど、私はポポロクロイスも好きだったし、ギルティギアも好きだった。魅力的な作品は数多くあって、そういうモノを作れる人になりたかった。

一方でこの頃から私は『人から承認を得られなければ意味がない』とも思っていて、よく妄想していたのが『大手企業に勤務する一流のデザイナーな自分』の姿だった。漠然としたイメージだったけど、厄介な事に自分の中でこれがかなりのウェイトを占めていた。笑っちゃうけど当時は真剣だった。そして就活の段になって、
「どの会社受けようか、有名な会社ばっかりでよりどりみどりだわ〜〜」
と、呑気なことばかり考えてた。

アークシステムワークス』は先述したギルティギアを開発したゲーム会社で、私はここを受けることも出来たのだけど、何故だか就活中は眼中に無かった。多分だけど、中小企業で仕事をする自分の姿がイメージ出来なかったんだと思う。東京まで出るなら【大手一択】だったし、「有名企業で仕事するんだ」という強固なイメージが、私を会社というブランドに拘らせた。

結局それほど数は受けなかったんだけど、結論から言うと当初志望していた企業は綺麗に全部落ちた。大手ならどこでもいいと思って、『数打ちゃ当たる』という考え方で臨んでいたので当然である。就活というものを私はかなり舐めていた。

当時から考え方が甘くて、自分に根拠のない自信を持っていたものだから、志望した会社に落ちた時はそりゃあ落ち込んだ。中々立ち直れなくて一時期は就活もままならなかったけど、卒業までのタイムリミットが迫っていた事もあって、それからは身の丈に合った会社に絞ってエントリーするようになった。理想と現実の乖離を痛感した。

その後、2社からほぼ同時期に内定をもらったけれど、片方は東京の本社配属になってしまったので辞退した。その頃の私はすっかり意気消沈していて、とても東京で1人でやっていけるような自信はなかったのだ。結局地元に支社を構えるもう片方の企業に就職した。まぁ、その就職先も入社後数年で閉鎖しましたけど。


今思うと、ゲームって芸術の集大成だよなと思う。
サウンドと、ビジュアルと、ストーリー。
私はクラシックも純文学も美術もそれ程好きではないけど、ゲームという枠組みの中だからこそ興味が持てたものは沢山ある。

私がアントニオガウディの建築に興味を持ったのはそれがデビルメイクライのステージ背景のモチーフだったからだし、三國無双をプレイするまで織田信長の事はチョンマゲくらいにしか思ってなかった。私の知識はゲームに始まったと言っても過言ではないけど、これがなければ私はデザイナーにはなれなかったかもしれない。とっつきにくい情報もゲームという媒体を介せば楽しむ事が出来るのだから、これは本当に偉大な娯楽だと思う。

 

あーあ、あの頃の私の『好き』『楽しい』という気持ちは一体何処へ行ってしまったんだろう。社会人になってから大きな壁にぶち当たって、それが自分が人とは違うという違和感を決定的にしたのだけれど、困難な現実に直面するほど、それは数少ない楽しみや夢をすり減らして行くように感じられた。鬱の作用か発達障害のせいなのか知らないけど、今の私は悲観に満ちていて何に対しても前ほど興味を持てない。

笑えないのはこんな状態になった今も、メンタルが浮上するたび、やりたい事よりも真っ先に承認欲求が顔を出すという事。例えば私がブログを更新するのはランキングが気になって仕方が無いからなんだけど、正直ブログ更新にはほとほと疲れている。そんなにしてまで認められたいのかと、我ながら呆れる。

気持ちが空っぽなまま、絵を描いたり文章を書いたりして毎日を過ごしている。【楽しい】って何だっけとか考えながら。死にたいなぁと思いながら、承認を求める矛盾が私を生きづらくしている。

 

ギルティギアサウンドトラックを聴きながら、ゲームの世界に没頭していた昔の事を思い出した。また何かやってみようかなと考えているけど、
「そんな事してなんか意味あるの?」
と、ネガティブな私が問いかけてくる。私は純粋に楽しみたいだけなのに、私の頭の中の哲学者がそれを妨害する。ただ、その哲学者も大変に頭が悪いので、ぐるぐるといろんな事を考えているだけで結局どうするのがベストなのかという答えは一向に出て来ないわけで…。

 

「意味なんか考えるな」とはユースケサンタマリアの言葉だった気がするけど、やってみたら「楽しい」と思える事は、意外とまだあるのかもしれないなぁ…と思って、PlayStation4を買おうかどうしようかずっと迷ってる。高いし。

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アートワークス・オブ・ギルティギア ゼクス 2000-2007

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