プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

私が摂食障害になったワケ③-そして無職になる-

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▼ここまでのはなし

>私が摂食障害になったワケ①-サイレント・デブ-

>私が摂食障害になったワケ②-婦女子は低糖質がお好き- 

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2016年06月01日

私は精神科神経科外来の一角で検査を受けていました。

摂食障害のため受診したA医科大学付属病院でしたが、初診の1時間に及ぶ問診で発達障害の疑いをもたれたのです。

 

先生「拘りだったりとか、物事の全体像を捉えてスッと受け入れる事が、物事の細部が気になってしまってスッと入ってこない傾向がある。相手が思ったり感じている事、感覚的な所が、表情や口調抑揚を聞いていれば普通の人はなんとなく分かるんです。考えて分かるんじゃなくて、直感的に分かる。でも発達障害の人はそれを考えながらやってるから疲れるんです。」

 

で、waisⅢ(ウェクスラー成人知能検査)を受けたわけですが

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余裕で低IQを叩き出してきました(爆)

 

…ちなみに能力に凹凸はあったものの、肝心の障害の有無についてこの時点では曖昧にされていました。

先生いわく「薬で治せない領域なので、自分に合った無理のない仕事を選ぶ、もしくは職場に配慮してもらう事が必要」との事。

体が資本の為、まず摂食障害の治療を優先する事になったのですが、その頃は自分が摂食障害だという病識もなかったので、

『なぜ増やさなければいけないのか』

という先生の説明に私は納得できず、体重を増やせないまま時間だけが過ぎていきました。

 

私にとっては“食べられない”事よりも、自分の社会生活を困難にしている“もっと根本の問題”の方が重要だったのですが

その原因が何なのかわからないまま、ただ私自身が辛いと感じている

コミュニケーションや社会生活の困難さ・性的違和・・・

これらは『治せない』のだという事、

もっと言うと『治せない』のに『苦手分野』で片付けられた事に絶望していました。

 

そもそも「苦手」という言葉って、“努力次第で改善できる”ようなイメージがありませんか?

だから社会でうまくやっていけないのは自分の努力不足なのだろうかと思い悩みました。

また、世の中には自分の性別に違和感を持たない人もいるのに、私は性別違和を抱えたまま一生問題を抱えて生きていかなければならないという事をものすごく不公平に感じていました。

 

(『自分に合った仕事を選べ』?

そんなことを言われても私はデザイナーという仕事を心の支えにしてきたし、それに病気でも障害でもないのに会社に配慮を求めるなんて、そんな事出来るはずないじゃないか。)

 

先生の言葉に私はずっとモヤモヤしてました。

『障害者』って言われてないのに、中途半端な感じ?

“ここが障害なんだよ”

っていう病名みたいなのが付いてないから、

自分が怠けてるんじゃないかとか、

頭が悪いだけとか、

そうとしか思えなくて辛かったんです。

 

“親が死んでからもなんとかやっていけるように対策する”

 

そういうことを言われるのも、『頑張って生きろ』と言われているようで、今すぐ死にたい私にとってそれはすごく重荷でした。

 

だから私はそういった自分の気持ちをまとめた手紙を先生に渡しました。

9月21日、検査を受けてから3か月後の事です。

 

私「先生は体重や食事の事ばかり言うけど、かくかくしかじかで私は生きるのがこんなにも辛い。」

私「食べて健康になったら親より長生きするようになっちゃう。一人ではとても生きていかれない」

私「私は今すぐ死にたいのに長生きしろって事?」

 

低IQの暴言炸裂。

 

私の訴えに先生はこう答えました

 

先生「あのね。これは多分中々親御さんも気付かなかった部分ではある。摂食障害の話、それから小さい頃からの辛かったことの話、それから今のお仕事の辛さ、我慢してきたっていうのはよくわかってるんですよ。ちょっと前後して申し訳ないけど、『障害』って聞くと安心する人とショックを受ける人の2通りいるんです。とても敏感な方なので言わなかったんですけど・・・」

 

先生「実はあなたは発達障害なんですよ」

 

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そうです、私は敏感です。

 

先生「コミュニケーションの能力の事とか、その場で場にあった会話をする、会議とか挨拶とか。あとはちょっと音を聞き分けたりとか。」

 

先生「大きな声に“怒られているような気がする”っていうのは2次的な問題です。辛い思いをされてきたので、『きっとそうやって言われてるんだろう』とか、思っちゃうんですよ。これは病気そのものじゃなくて積み重ねの結果そのようになってしまうので、だからご自分にポジティブな経験を重ねていかないといけない。」

 

自分が発達障害

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先生の言葉に頭が真っ白になったのもつかの間、堰を切ったように涙があふれてきました。『社会でうまくやっていけなかったのは自分のせいではなかったのだ』・・・という安堵からでした。これが自分が求めていた答えだったのだと思います。

(その一方で、自分は先生のお情けで「発達障害」という診断になったのではないか?・・・という腑に落ちない所もありましたけど。)

 

 

ちなみにこの時の私の体重は体重は31kg。

実はこの前日の9月20日に健康診断がありまして、私はそこに向けてせっせと食事制限をしていたのです。あれって害悪ですね。記録が残るんですから。

 

「健康診断で重い体重を記録されたらたまらん」

 

そう思っていたんです。

(ちなみに健康診断を終えた後は役目を果たしたかのように力尽きました。)

 

そして翌21日の精神科受診日、先述した発達障害の診断が下りた日ですが、その時の私は物心着いた頃からの希死念慮や、コミュニケーション・社会生活の困難さ・性的違和とか、ずっと抱えていた違和感がピークに達していまして。

体重の事もそうだし、「死にたい」を連呼していたら、

「これはいかん」

という事になり、医療保護入院の手続きを進められました。

しかし私は断固としてそれを拒否。コミュニケーションの苦手な私に、他人との共同生活など考えられなかったのです。

先生と「自殺しない」事を約束し、なんとか入院は免れました。

 

そして私はそのまま休職に入り、2度と出社する事がないまま、1年後に会社を辞めました。

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