私が摂食障害になったワケ②-婦女子は低糖質がお好き-
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▼ここまでのはなし
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服のサイズを訊かれる事が嫌でした。
「Sサイズです」
と言いたいところだったけど、実際は華奢とは程遠い「Lサイズ」。
体重がある分、見た目もやっぱり重量感があって、私はそれがずっとコンプレックスでした。
でも自分でもどうする事も出来ませんでした。
ところが20代後半で始めた糖質制限は、自分が思っていた以上に体重のコントロールを容易にしました。
あっさりと50kgを切った体重はそれ以降もするすると落ち、
あんなに抵抗があったのに関わらず、一度体重が落ちた事で弾みがついたのか私はどんどんダイエットにのめりこんでいきました。
7~10kgほど落ちたところで、さすがに
「痩せた?」「綺麗になったね」
と周囲から言われるようになりました。
私のこれまでの人生の中で「痩せた?」なんて言われた事あっただろうか?
それに綺麗と言われたことがものすごくうれしくて、思わず顔がにやけたけれど、
「えっそうですか?」
と、私は適当にはぐらかしていました。
これだけ痩せてもやっぱり周囲にダイエットを知られることは恥ずかしかったんです。
それでも鏡を見てはより細く引き締まっていく体に顔を綻ばせていました。
このころには“筋トレと並行して極端な食事制限をするようになっていました。所謂スーパー糖質制限というやつです。
まずお菓子を断って、それからご飯とかパン等の主食を抜きました。
それだけならまだよかったかもしれないけれど、順調に減っていく体重を前に私は「もっともっと減らさなくちゃ」という強迫観念のようなものに憑りつかれていて、次第にニンジンやジャガイモ、まぁ根菜類ですけど、その微量な糖質すら受け入れられなくなっていきました。
朝はミックスベリーとヨーグルト
昼はサラダとわかめとゆで鶏
夜はおかずを少しつまむ程度だったかな。
こんな食生活で、全てスケールでグラムを計って、カロリー計算は欠かしませんでした。
気付けば“痩せたい”が“太るのが怖い”という気持ちに変わっていて、飴玉一つさえ食べられなくなっていました。
お菓子を食べたくて買うのだけれど、太る事が怖くて手を付けられず、部屋の片隅には賞味期限切れのお菓子が山のように積み上げられていきました。これは摂食障害の『ため込み症候群』と言って、ここから過食に移行してしまう人もいるそうです。
40kgを切った時にはもう後には引けなくなっていました。それでも私は
「あと少しで板野友美と同じ体重になるな…」
とのんきに構えていました。
知らない方の為に補足しておきますと、板野友美は元AKBのメンバーで、いま何やってるのかよく分からない人です。やせ型です。
後々の検査で分かった事ですが、わたし発達障害があったんですよ。でもこのころは当然そんな事に気付くはずもなく、ただ複数人での会話が聞き取れないとか、言葉が咄嗟に出てこなくて報連相もままならなかったりとか、あとは感覚過敏に困ってるだけで何も対処が出来なかったりとか…。
こんな状態だったものですから、とにかく人とのやり取りがストレスだったんです。そんな中、何年経っても社会でうまくやっていけない私と違って、自分より年下の子たちが仕事でどんどん活躍していくんですよ。その事が私の自尊心をずたずたにしていたんですね。
「どうして私はこんなにうまくやっていけないのかな」って。
そこへきてこの極端な食事制限。こんな状態でまともに日常生活を遅れるはずもなく…。
歩くのもフラフラ、元々ない集中力は一層低下して、仕事もまともにできませんでした。
あの、今でも糖質制限ってブームなのか知らないですけど、これって摂らなさすぎると集中力もなくなるんですね。仕事はモニター作業が主体だったのですが、ずっと座っていられなくて、毎日1時間おきに息抜きの為トイレとかビル内のコンビニに逃避していました。そして会社にも出社できない日が多くなっていきました。
それでもダイエットはやめられませんでした。
太っている時の嫌な記憶がこびりついていて、
「せっかくここまで減らしたのに、ここでやめたらすべてが元通りになるんじゃないか」という恐れと
“社会でうまくやっていけない…”そんな中で、体重は頑張った分だけ落ちたものですから、それが嬉しくて。そこに依存していたというのもあるんでしょうね。体重は裏切らない、みたいな。ドーパミンかなんかが出ていたんでしょうか。まるでゲーム感覚のようで、そこから抜けられなくなっていました。
そして元来希死念慮が強いくせに
「痛い思いをするのが嫌だから」
という惰性でズルズルと生きてきたものですから、
「あっ、このまま痩せていけばコロッと死ねるやんけ」
と思い、周囲の忠告も一切無視、そのまま低体重への道を驀進していきました。
私の異常に気が付いたかかりつけ医は、神経性食思不振症(摂食障害)を疑い
「このままじゃ本当に食べられなくなっちゃうよ!」
と精神科受診を勧めました。
「別に食べられなくなってもいいんだけどな…」
と思いながら、私はあちこちの精神科を転々としました。しかし
「体重が増えたら長生きする羽目になる…」
と思っていたので、結局1kgも体重を増やせず。
さすがにこれはいかんという事になりまして(周囲が)、摂食障害治療で有名なA医科大学付属病院を受診する事になったのです。
体重は30台前半でしたが、こんな状態になっても私は自分が摂食障害であるという病識はありませんでした。
浮き彫りになった腕の血管を見ては妙な恍惚感を覚え、細さではだれにも負けないという自信がありました。
ずり落ちるXSサイズのズボンに、私は自分が今まで分厚い肉を身にまとっていたことを遠い昔の事のように感じていました。幾度となく投げ出そうになった減量なのに、この頃の私は体重計のディスプレイに映った数字を落とす事だけに日常生活のすべてを捧げていて、それ以外の事は眼中にありませんでした。
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