「ふっくらした方がカワイイ」は拒食症に通用しない。
何故なら『かわいくなる』事を目的に摂食障害になったわけではないから。
(中にはそういう人もいるかもしれないけれど)
でも周囲は当事者が何を考えてるかなんて知らないので、当然
「もっとふっくらした方が可愛い」
「太るんじゃなくて、健康になると思え」
と言って、説得を試みる。
そうして本人は「誰もわかってくれない…」という孤独感だけが一層強くなる。
自分の気持ちを共有してないから「わかってもらえない」のは当たり前なんだけど、思った事、感じた事をスムーズに言える程私は芸達者ではないんですねぇ…うまく言語化できなくて、もやもやと『言いたいのにうまく言えない』ジレンマに苦しんでいた。
少なくとも私の場合はだけど、ダイエットは『痩せている事=美しい』という価値観に基づくものだけではなかった。努力しただけ確実に結果に表れるという事が私に喜びを与えてくれた。社会ではうまくいかないのに、体重は面白いほどコントロールできた事が嬉しかった。
今は何故か全然コントロールできませんけど。
私はこれまで自分が極端なダイエットに走った事を
「体型を馬鹿にされたから」
「成熟拒否があるから」
「希死念慮」
「逃避願望」
…などと、コロコロ理由を変えて周囲に訴えてきた。一貫性が無いようだけど、整理しきれてないだけで全部本当に感じていた事だ。例えるならバラバラになったパズルのピースのようなもので、元はすべてが底の方で繋がっている。それなりの年齢にさしかかった事をきっかけにいろんな問題が芋づる式に出てきたのだと思う。
幼い頃から抱えていた色んな感情が『摂食障害』という方向に向かって集束していったかのようで、こうなる事はもうずっと昔に決まっていたのではないかと思える。
病気という間接的な方法ではなく、自分をもっと直接的な方法で表出していればこんなにこじれる事も無かったのだと思うのだけれど、意外と自分でも自分の心の動きというのはよく分からないもので、心理って本当難しい。人は心を病む事で自分の気持ちを間接的に表現しているのかもしれない。私は今でもこういう形でしか人と関われないような気がしている。
今では痩せようと野菜とタンパク質中心の食事にしたばかりに健康体に近付いてしまい、長生きはしたくないのに、太りたくないが故の行動が長生きに繋がっているジレンマに苦しんでいる。
+++++++++++++++++++++++++++++
▼ブログランキングに参加しています。ポチッとしていただければ励みになります。