プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

変わらなきゃダメですか

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「頑張ってまでそれをやる価値はあるのかな、どうせ最後には死ぬのに。」

という間違った方向に悟りを開いてから大分経つ。そう思ったら何に対しても興味は持てなくなる。

 私を支えてきたのは「凄いね!」という賞賛の言葉なのだけれども、一時的に絵を描いてみてもふっと我に返って

「あれ、私何やってんのかな」

なんて思ったりする。

 

私が読むべきものは哲学かなと思って、「自分を知るための哲学入門(ちくま学芸文庫)」という本を購入してみた。

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3分の1ぐらいまで読んだとこで内容全然わかんない事に気付いた。

“入門”を謳っている割に難しいじゃないか…。

「嫌われる勇気」も読んだけど、自己啓発というのは結局自分が行動に移せるかどうかにかかっていると思う。

「それが出来たら苦労しないよ!」という感想を持っただけで、無駄な出費に終わった。そもそも自分に変わる気があるわけではないので読んでも意味はない。

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「変わりたいですか?」

「どうなりたいですか?」

ていう言い回しを好む人が世の中にはいて、私も度々この手の漠然とした問いかけを支援者にされてきたけど、世の中にはそういう『鬱病の人にはこう語りかけろ』的なマニュアルでもあるのかな?

鬱の人に「“頑張れ”は禁句」とはよく言われているけど、「どうなりたいですか?」的な発言ってキャリアプランを想起させるので、正直『頑張れ』以上に言ってほしくない言葉だったりする。

 

『頑張れ』は漠然とした言葉だから苦痛に感じないんだけど、“良くならなきゃいけない”という目標の下に掲げた人生設計は重すぎる。達成する事を義務のように感じてしまうし、楽しく生きる事が自身の変化によってしか得られないものなら、

『別に楽しく生きられなくていいわ、めんどい』

って転換してしまうのが私のアタマなので。

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まあこうやって人のアドバイスにいちゃもんをつけてしまうのは、「何で私が世の中に適応していかなきゃなんないの」という自分のスタンスを意地でも崩したくないからだと思うんだけど。でもそれを差し引いても社会は世の中を生きやすくする答えを『自身の変化』に集約しすぎている気がしている。変わろうとするから辛くなる人間もいるんじゃないの。

 

意識高い人「いや、変わりたいってそもそもそういう事じゃなくて、“捉え方を変える”って事だよ!」

 

と突っ込まれそうだけど、人間が本で教えられた通りに画一的ポジティブだったらそれはそれで気持ち悪いというか。

 

私の『楽になりたい』は『変わりたい』ではない。でもそう思えるのは無職だから為せる業であって、偉そうな事を言っても社会に出たら私はたちまち過剰適応になってしまうだろうな。

 

嫌われる勇気

自分を知るための哲学入門

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