プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

米津玄師①『才能』について考える

米津玄師は自分と同じ障害があって、どうやら歌も歌えて絵も描けるらしい。

ショックだった。

当方、無職の31歳。

私だって絵は描けるのにどうしてこうなった。

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自分と同じ障害を持っているから気にはなってる」

元旦の親戚の集まりで「米津玄師っていいよね」という話になったときにこう答えたところ、場がシーンとなってしまった。盛り上がっていた様子だったのに、話の腰を折ってしまったようだった。ここは大人しく『いいよね』と言っておけば会話はスマートだったのかもしれない。

 

でも私は決して自分の障害に話を持って行きたかったわけではなくて、単純に「“好き”だけで盛り上がれないような気持ちもある」という事を言いたかったのだ。

 

障害を持っているところに変な親近感を覚えて、米津玄師の音楽を聴くようになった。しかしその一方で、

「なんでこの人には才能があって、私には何もないんだろう」

と自分が卑屈になっているのを肌で感じていた。諸手を挙げて彼を称える事は、同じ発達障害という土俵で自分の負けを認める事のような気がしていたのだ。

 

私の唯一の取り柄は絵を描く事だが、好きかと言われると正直そうでもない。ただ、褒められたのがたまたま絵だったというだけだ。それに『特技』とは言ったものの、私の絵はそんな御大層なものではない。

 

しかしそれでも何かを生み出す作業はめちゃめちゃ苦しい。集中力が無いし、上手く描けなくてすぐイライラしてしまう。でもそれを認める事は、自分の才能の無さを認める事に繋がる。と、いうのも、本当に才能がある人というのは、その生み出す過程にすら楽しみを見出せるものなのだ。

例えば米津玄師なんかがそうだ。あれは自分の好きな事をとことん追求した結果のように見える。まぁ、人の苦労を知らん部外者の勝手な思い込みだけど。

 

そんな理由から、『絵は楽しむべき』と思っている自分がいる。そうでなければ、自分に才能が無いことを暗に認める事に繋がってしまう。私がいま苦しいのは、米津玄師を見ては卑屈になり、『自分には才能が無い』と思いながらも、“もしかしたら”という希望を捨てられないからだろう。

 

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