米津玄師②『好き』の熱量
「米津玄師の才能」についてファンが語っている時、私の胸中はどす黒い感情でモヤモヤしている。
「私を差し置いて米津玄師が評価されてんのが気に入らん」
みたいな。まぁ、私は差置かれるレベルなんだけど。
だが私は正直『才能』という言葉が具体的に何を指すのか分かってない。
世間が特定のアーティストを評価する際『才能』という安易な表現に走るけれども、そこには『若い+売れる=才能』の方程式みたいなものが見え隠れしていてどうにも腑に落ちない。
人が『才能』について語る時、多くの場合それは個人の好みに左右されている気がするしね。
私は米津玄師が他のアーティストと比べて何処がどのくらい優れているのか、世間で受け入れられるのはなぜなのか、具体的な事は正直よく分かっていない。
CMで頻繁に流れてたから
何となく聴きやすいから
私が彼の音楽を聴いているのはそういう理由もあるし、同じ障害を持っているという変な親近感があるだけで聴き始めたという事もある。実際、彼が発達障害だと知るまでは、私は彼に対しては全く何の関心もなかった。
私は教養が無いので、例えば音楽なら音楽の、美術なら美術の作品の良さについて、付け焼刃程度の知識で語ったり、「才能」で片づける事は難しいと感じている。それは『普通』と『才能』の差異について理解していないから。
米津玄師の音楽は確かに聴きやすいとは思うけれど、だからといって他のアーティストが劣ってるとは全く思わない。私の感覚ではどちらも大衆音楽の1つに過ぎず、そこから『語れるほどのなにか』は感じ取る事はできない。
だから『才能が~』『凄過ぎて…』という抽象的な表現で周囲が大いに盛り上がっているのは、本当に理解できないし、自分が落ち込むのも意味がわからない。自分と周囲との温度差にあれ?と思うし、ついていけない。
同じようにただのブームに翻弄されてる人も間違いなくいると思うけれど、私は面倒くさいので変に理屈をつけたりしない。
聴きやすいから何となく聴いている、ただそれだけ。
だから私はAKBも聴くし米津玄師も聴くし、DA PUMPもマリリンマンソンも聴く。
そんなに拘ってない。
熱心なファンは作品の良さについて語る事は出来ても、それが作り手に才能があるのか、本人の好みなのか、大抵ハッキリしてない。だから熱弁されても「(´Д`)ハァ…」としか思えないし、さらに盲目的な人はより抽象的な表現でもって崇め称えるので、もっと理解できない。
売れてるアーティストをディスってるわけではない。普通に聴く分には好き。でも私とファンとの間にはかなりの温度差があるようで。世間一般で『才能』と評価されている人達の事は正直わからないし、「好き」を言葉にできるほどの熱量も私には無いという事だ。
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