プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

いつも不満な人

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よく「親の敷いたレールを歩んできた」とか「良い子として生きて来た」という話を聞きますが、私の場合はちょっと違うなーと思っています。私は「褒められたい」とは思っていても、「親にとって良い子」であろうとしたことは多分ありません。「これだけは譲れない」という、どうでもいいような細い事を頑固一徹で来た記憶があります。今でも何故か分かりませんが、「このコップは使えない。このコップは使える」とか、自分でも法則のよく分からないルールに縛られることがあります。

 

これが所謂発達障害の強い拘りなのか、私の我儘なのかはわかりませんが、何となく後者な気もしています。

(この「気がする」という表現も、「そうじゃない可能性もある」という含みを持たせた曖昧な言い方で、さりげなく逃げ道を作っているのかもしれません。)

 

私は子供の頃、クラスの女子から虐めを受けていました。

社会的に評価を得ることと並んで、“私を馬鹿にしてきた奴らを見返してやりたい”という、クラスメイトに対する憎悪が常に傍らにありました。

でも彼女達は多分、『自分が誰かを傷付けていた』という自覚すら無いのだと思います(私も誰かを傷付けていた可能性はありますが)。今ではみんな母になり、現在は人間として模範的な生活(結婚・出産・育児)を送っています(facebook情報)私が仕事で成功しようがしまいが、自分の軸で生きている彼女達の生活には微塵も影響しないであろう事は、頭ではわかっています。私の存在自体忘れ去られている可能性もあります。

「見返してやりたい」と思っていたのに、逆に自分がボロボロになっていました。

 

私の関心は、社会からどう評価されるかという点に集中しています。出来もしないのに背伸びをし、むやみやたらに虚勢を張り、事あるごとに『デザイナー』をアピールするのも劣等感の反動形成かもしれません。私は『他人からどう見られるか』という他人軸で生きています。だからいつも満たされず、「いつまで経っても不満な人」なのかもしれません。

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