プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

社会的な「仮面」の話

心理学的にはこれを「ペルソナ」というらしい

私は母親といる時は『子供』です。でも友達といる時は『同世代の友達』、社会に出た時は『大人』…という風に、家の外では別の自分を演じていました。

中学・高校・専門と上がるたびに、どこにいても「常に背伸びをしている子供」「大人の仮面を被った子供」という自分を感じていました。根底に常に5歳児くらいの自分がいます。

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5歳児くらいの自分

他者との関係性において「私」が成り立つ

私は自分が「私による私」ではなく、他者との関係性において成り立っているように感じます。

家では1番上に『兄』、真ん中に『姉』。上にこの2人がいるから3人兄妹の末っ子であるという『私』がいます。
でも姉も兄も家庭を持って変化していきました。
兄は帰省の度に、姉は妊娠した時から別の女性になったかのように感じました。

「この人達は兄と姉だったはずだけど、別の誰かに変わってしまった。」

そうすると「私」とは誰なのか…というより、「自分はどの仮面を被って接したらいいのか」という戸惑いを感じるようになりました。
「妹だったような気がするけど、本当に妹だったのかな」
と、自分の事まで分からなくなりました。

私は「兄や姉あっての私」でもあったからです。

 

子供との接し方がわからない

姪や甥が来ると益々分からなくなります。
彼らがいると相対的に私は『子供』ではなくなります(年齢的に既に大人ではありますが)。

でも母が側にいるので私は『子供』なんです。私は『子供の仮面』の上に『大人の仮面』を被るという事ができません。
甥や姪が来ることによって、家での私の『子供』としての居場所がなくなります。
甥や姪に自分の居場所を奪われると感じ、相手に強い敵意を抱きます。これが「やきもち」なのかなと思っています。

盆・正月に、兄が姉の子供に接しているという摩訶不思議な状況は本当に理解できません。

仮面を外すという事

私は自分が『子供』でいる時でないと正直な気持ちを吐き出せません。
「しんどい」と言えるのは子供としての自分を出せる時だけです。
『子供』であれば受け入れてもらえるとどこかで感じています。

心理士さんや主治医に対しては『自分は子供である』と感じています。
これは診察に母親が同伴している事で自分が『大人の仮面』を被らなくていいという安心感があるからです。

 

内科のかかりつけの先生に対しては最初『大人』の仮面を被っていましたが、私が摂食障害になってから、痩せた事を先生に心配された事で
「私の事めっちゃ見てくれてる!!自分の気持ちを話せる!」
と感じ、『大人』→『子供』になりました。
(でも多分、この『大人』とか『子供』の切り替えは傍目には分からないと思います。)

 

クリニックには月1で通院していますが、いつも時間ギリギリに受付して、先生に20分くらい話を聞いてもらうという結構迷惑な事をやっています。

内科の先生にメンタルの方まで気にかけてもらおうというのがそもそも間違っていますが、気持ちを素直に吐露できるという場所は家以外には少ないので貴重なんです。

 

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