プラダを着た5歳児

プラダを着た5歳児

ゲーム会社・IT企業を経て社会から静かにフェードアウト。精神年齢5歳児の人が綴るブログ。

女嫌い

女の子だけど、女ではない

『女の“子”』と言われるのは平気。でも『大人の女性』として周囲から認識される事と、自分がそういう身体的な要素を持っている事に嫌悪感がある。これは私が性同一性障害とかではなく、「客体化される事への嫌悪」と、成熟拒否(特に肉親に 受胎可能な雌として認識されないための自己防衛)というものが根源にあるような気がする。

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だけど女なんだなこれが

成熟拒否からの摂食障害

特に父親との間でこの感情(女である事の不快感)が顕著に表れるのは、昔から父親の言葉の端々に、自分が娘である前に『“女(客体=モノ)”としての教育/意識の強要』をされている事を感じ、そこに違和感・恐怖感を覚えた為ではないかと思う。
(「そんなんじゃ嫁にいけない」「女の早食いはみっともない」など。)

フォローしておくと性的虐待があったわけではないが、幼少期から、(特に父親に)「女が・・・」とか「嫁に行くときどうのこうの」と言われる事は性的な嫌悪感があったし、今の「女性性の嫌悪」と無関係とは思えない。そこから成熟拒否→摂食障害へ繋がっていったのかもしれない。

私が過敏なだけかもしんない

ただ、つい最近まで女性蔑視的な考え方は社会通念として浸透していたので、多分殆どの人は深く意識してないか、私が極端なだけかもしれない(あるいは精神上に問題があるのか、自分は特に言葉に捉われる傾向が強かったのかもしれない)。
(こういう事は自分から言葉にする事も憚られるので言わなかった。)

「体重が減ると生理が~」とか、「将来子供を産む可能性が~」等、言われると気が滅入ってくる。子宮は“女性”の特徴の最たるものなので、取り除きたいと思うほど嫌悪がある。

葛藤

“女性”にはなりたくない一方で、綺麗な女性に憧れるアンビバレントな気持ちがある。

「ダイエットしたい」←→「ダイエットそのものは女らしい行為なので出来ない」
「髪型とか服装とか可愛いものに憧れる」←→「女として認識されたくない」
・・・という風に。

自分の体型を気にしつつも20代半ばまでダイエットが出来なかったのは、『ダイエットが女性らしさに繋がる』という認識が強かった為。ここ数年でダイエット(女性的な行動)への嫌悪感よりも容姿のコンプレックスが勝るようになった事と、「体の丸みこそ女性的ではないか?」「もっと細いほうが都合が良い」という風に考えるようになり現在に至る。

(フェミニストLGBTを除き)多くの人は屈託なく自分の性を享受しているように見える。それを不公平に感じる。

 

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