学校の成績の話
勉強するという概念
私の成績は壊滅的でした。
先生の説明についていけなかったという事もありますが、そもそも意味を理解して勉強をするという概念がなく、テスト勉強は問題集の出題範囲を丸暗記するという力業に出ていました。
(テスト問題は、先生によっては問題集からそのまま引用されている事もあったので、そういう時はある程度点数が取れました。)
どれほど悪い点数を叩き出しても自分の勉強方法に一切の疑問を持たず、何故か「これでいい」と思っていました。
高校3年か専門入学辺りでようやく、
「勉強ってこういうものなのか」
と理解しました。その時は本当に目から鱗が落ちるような感覚でした。
言葉をそのまま受け取る
「私、全然勉強してないよ~」
と言う人がいますが、私はその言葉をそのまま受け取り、
「そうか!私もやってない!ヽ(・∀・)ノ」
とひとりで安心するタイプの人間でした。
「自虐に見せかけた自慢」とか、「皮肉」が分からなかったんだと思います。
勉強についていけない…
国語や社会の授業でやらされる音読は、読む事に精一杯で内容は全く頭に入って来なかったし、理科のグループで行う実験も指示通りに動いていた(又は傍観)だけなので、当然実験結果も何を意味するか全く分かってませんでした。
分かろうとも思っていませんでした。
これは怠ける以前に、純粋に『理解する』という方に意識が向かなかったという事です。
ちなみに受験勉強は過去問をひたすら解いて採点するだけ。解説は読まない。…という全く無意味な事をしていました。
通知表は壊滅的でしたが、対象を観察する力と描く力はあったので、美術の風景画やデッサン、模写では苦労しませんでした。“真似をする”という事は、頭を使わないので負担が少なかったのかもしれません。一方で、工作系は非常に苦戦していた記憶があります。発想力に乏しく、自由度が高い作業(本人の裁量に委ねられる作業)を求められるほど、どこからどう手を付けていいかわかりませんでした。
今では勉強も皮肉も一応理解している(多分)ので、私は発達が極端にゆっくりだったのかなと思います。
+++++++++++++++++++++++++++++
ブログランキングに参加しています。ポチッと押して頂けると大変喜びます。