私のヒーロー
WWE関係の仕事をしていた事もあって、プロレスにどハマりしていた時期がある。WWEとはアメリカのプロレス団体の事だ。
日本のプロレスしか知らなかった私は、当初この男臭いプロジェクトに配属された事に肩を落としていた。しかしそれも最初のうちだけで、私は段々とアメリカプロレスの世界に魅了されていった。
「八百長」というと印象は悪いが、プロレスには台本がある。WWEでは確か会長の娘ステファニーがシナリオを担当していた気がするが、よく覚えていない。
基本的にはRAW とSmack down!という2つの番組の中で、ベビー(善)とヒール(悪)の抗争が繰り広げられる。誰にでも分かりやすい親切なこの構図は適当な例えをするとマーベル・コミックみたいな感じだ。要は『正義のヒーローと悪の戦い』という、アメリカ人が大好きな要素をWWEはふんだんに盛り込んでいる。そして派手なパイロやエントランス、音楽がそれを盛り上げ、日本のプロレス以上にエンターテイメント性が強いものになっている。
スーパースター(SS)と呼ばれるWWEのプロレスラーはその魅力的なルックスと迫真のマイクパフォーマンスで会場の空気を盛り上げる。リングの上の戦いが全てではなく、時にはバックステージで、時にはコメディを繰り広げる事もある。
墓堀人の異名を持つアンダーテイカーや、下ネタを展開するDX、R指定のエッジ・・・個性的なスーパースターがその名を連ねるWWEなら、誰でも1人くらいは自分の“推し”を見つけられるだろう。
しかし
「所詮は殴り合いだ」とか
「コスチュームが恥ずかしい」とか
「そもそも八百長じゃん」とか
大人としての自我が邪魔をし素直に楽しめないのがプロレスという格闘技だ。ちょっと偏見入ってるかもしれないがなかなか敷居が高いジャンルである事は間違いないと思う。
だが結局プロレスを見るという事は、なりふり構わず2次元のキャラクターに入れ込むオタクや腐女子と同じなのだ。
スーパースターの名前が「トリプルH」というわけのわからない名前だったとしても、WWEの真髄を味わうにはまずこの世界観を受容しなければ始まらない。記憶の底にある子供心と対面した時に、初めてWWEエンターテイメントを肌で感じることができるのだ。
要は子供にウケる分かりやすさがWWEなのである。
忘れてはならないのが、HBKことショーン・マイケルズの存在だ。前置きが長くなったが、私は彼が大好きだ。団体の中でも割と均整のとれたスマートな体格で、歳は取っているものの、そこには色褪せる事のない『Sexy boy』の異名を持つ彼の姿が見てとれる。その渋い声のマイクパフォーマンスは観客を沸かし、長いサラサラヘアーは暑苦しい戦いの中でプロレス技を一層際立たせた。私にDVDを買わせるほど彼は最高にクールな男なのだ。
四十過ぎのおっさんに自分の20代前半を費やしながら、一方で彼の頭髪が年々後退している事を私は懸念していた。戦いで髪の毛が振り乱れる度チラ見えする頭皮に、別の意味で釘付けになった。
しかし2010年、ハゲと言っていいのか悪いのかギリギリのラインで彼は引退し、プロレス界における推しメンを失った私はそれ以降WWEを見る事はなくなった。
あれから数年経った現在、何気なく聴いたWWEの音楽が自分の中の何かを突き動かした。
「もう一度WWEでも見たいなー」
そしてブームは静かに再燃した。
その後ショーン・マイケルズが復帰している事をSmack down!の番組で知った私は、彼の姿を求めてyoutubeを漁った。そうして見つけた動画を前に私は愕然とした。
そこに映っていたのは、変わり果てた男の姿。
髪の無いショーン・マイケルズだった。
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