「老後がこわい。」
ASDはIT系に向いているなんて言われていますが、順序立てて話すことが苦手な私は簡単な報連相にも苦労していました。そこではチームでの仕事が基本だったので、コミュニケーション能力が重視されていたのです。
発達障害者の中には「自分は他人とは違うと思っていた」と表現する人がいるけれど、私の場合「自分の頭がおかしいと思っていた」の方がしっくりきます。漠然とした不安は物心ついた時から抱えていて、夜中一人枕を濡らすこともよくありました。でもその不安感をうまく言語化できなかった事と、「おかしな子供」だと思われたくないという気持ちもあって、それを誰とも共有する事が出来ないまま大人になりました。当時は『普通の子ども』のようにふるまう事に必死になっていました。
いつかはどうにかなっているだろうと楽観視する一方で、「治らず誰とも繋がれず、将来独りぼっちだろうか」という不安は常に頭の片隅にありました。そしてそれは年を重ねるにつれて強くなっていきました。
「大人になるころには」
「〇年後には」
「〇歳になるまでは」
そんな私の淡い期待もむなしく、どうやらこれ以上待っても良くなりそうもないと気づいたのは社会人になってからの事です。そんな中、あるニュースが私にさらなる追い打ちをかけました。
東京五輪開催決定に世の中が湧き上がる中、2020年という近い未来に、私は自分の将来の具体的なイメージを重ね死にたくなりました。
「将来がこわい…」
この頃既に摂食障害に片足突っ込んでいた気がします。
「将来の事なんて考えても無意味だ。今を生きるべきだ」
自己啓発本にはそう書いてありますが、私も考えたくて考えているわけじゃないんですよね。でもどうしたって時間は経つわけで、気付いたら年が明けて2019年になっていました。東京オリンピックは目前となりました。
振り返ってみれば、昨年は「辛い辛い」と思いながら、本当にあっという間で何の進展もない1年でした。
何も出来ない惨めな自分は受け入れ難く、一歩を踏み出すハードルは物凄く高い。私は現状を嘆いているだけで変わりませんでした。変わったといえば、体重が増えたことくらいです。何で増えたんだろう。
今でも筋トレは欠かさないし、好きな時に好きなものを食べる事は出来ません。でも好きなように食べたいと思う一方で、このまま治らなくてもいいと思っている自分もいます。それは単純に太りたくないという事と、痩せている事が既に自分の一部にもなってしまっているという事があります。
私は数年前にASDと診断されましたが、それを素直に受け入れられない自分がいます。それは障害受容というよりも
「実は誤診で、社会に適応できないのも自分の頑張りが足りないだけでは?」
という診断に対する懐疑です。だからと言って「発達障害じゃありませんでした」なーんて今更撤回されても困ってしまうので、これについて考える事は意味が無いとは思います。発達障害を「出来ない事」への免罪符として見ている面もあるからです。
そういえば今年もおせちを作りました。別に料理は好きではないけど。寧ろ苦手だけれども、少しでも何かをする事で自分の「居場所のなさ」を拭い去りたいのだと思います。
もっと緩い生き方ができるようになりたい。他人の目に私は「いつまでもクヨクヨしている」と映っている事でしょうね。…私の人生は甘いかなぁ。
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